旧ソ連では地名など固有名詞に人名が使われることが多いのですが、価値観の変化に伴って、名称も変わってしまうことがしばしばあります。(スポーツのクラブ名は、そんな中で比較的旧ソ連時代のものが変わらず使われているものだという気がします。やっぱり贔屓のチーム名が変わってしまうのは寂しいものですからね。)
レニングラードがサンクト=ペテルブルグに、クイビシェフがサマラに、ゴーリキーがニージニー=ノヴゴロドに変わった、というか元々の地名に戻ったり、キーロフ劇場がマリインスキー劇場になったり(戻ったり)、それこそ激変です。
ウラジーミルでも、『ロシア建築案内』刊行時には、“第三インターナショナル通り”だったメインストリートが、どうやら今では“ボリシャヤ・モスコフスカヤ通り”になっているようです。
(これも古い地名に戻ったのでしょう。)
そして、黄金の門の交差点の広場に建つ州立アカデミー・ドラマ劇場も、“ルナチャルスキー名称”というのが冠せられていたはずですが、今年撮った写真をみると、その名が消えている!
こちらが去年の写真。
わかりにくいので、他サイトのこの写真もご覧ください。
http://planet33.ru/vladimirskiy-oblastnoy-teatr-imeni-lunacharskogo/galleries/523#photo=26084
Театр драмы им. А.В. Луначарскогоと、昨年(2010年)の段階では書かれていました。
ところが、今年の写真では、
Академический театр драмыとなっていて、ルナチャルスキーはどこ?!
Анатолий Васильевич Луначарскийアナトリー・ヴァシリエヴィチ・ルナチャルスキーはソ連の初代文部大臣で、ソ連初期の文化政策において彼の名は忘れるわけにはいかないのですが、評価については光と影の両面があっていろいろ難しいところですね。
文化省のトップだったゆえに、彼の名を冠した劇場はここウラジーミルだけではなく、他の都市にもある(またはあった)ようです。
建物の名前の上の部分にある、Андрей Боголюбскийはユーリー・ドルゴルーキーの息子で、スーズダリ=ウラジーミル公国の公だった、歴史上の人物。
要するに、ウラジーミル公国建国の父。
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