2011年10月26日水曜日

ウラジーミルの自由広場改め聖堂広場

モスクワクレムリンの寺院広場のように、広場の周りに寺院が乱立、というわけではないのですが、かつて自由広場Площадь свободыであったこの広場は現在聖堂広場Соборная площадьと呼ばれています。聖堂・寺院はこの広場ではなくプーシキン公園の奥にあります。

さて、この広場にあるもの。
まずはウラジーミル建都850周年モニュメント。

公と石工の像が見えますが、見えないところにもう一人います。
トラクター工場労働者。
ウラジーミルは今では機械工業の町なのです。
現在ロシア一部リーグ所属のトルペド・ウラジーミルは、このトラクター工場を母体としていたクラブです。

そして、ウラジーミルと言ったら、この方を思い出す人もいらっしゃるでしょう。
なぜか銀行の前に立っています、レーニンさん。



アンドレイ・ルブリョフ像

それとアンドレイ・ボルゴリューブスキー公関連のポスター?
ここに銅像でも建てる予定か?





プーシキン公園内には当然プーシキン像が・・・と思ったら、「像を建てる予定」と書かれた像があった。

2011年10月19日水曜日

食後の猫

ウラジーミルでの昼食は、昨年と同じレストランでした。
レストラン「トラクチル」。

最後に硬音記号をつけて、「伝統」を醸し出そうとしています。

ところで、ここでは昨年具合悪いながらも「猫がいる」と写真に収めていた私ですが、今年もそんな雰囲気が充満していたんですよ。

そしたらいました。
食前


ドアにも猫。

食後



2011年10月18日火曜日

消えたルナチャルスキー

旧ソ連では地名など固有名詞に人名が使われることが多いのですが、価値観の変化に伴って、名称も変わってしまうことがしばしばあります。(スポーツのクラブ名は、そんな中で比較的旧ソ連時代のものが変わらず使われているものだという気がします。やっぱり贔屓のチーム名が変わってしまうのは寂しいものですからね。)
レニングラードがサンクト=ペテルブルグに、クイビシェフがサマラに、ゴーリキーがニージニー=ノヴゴロドに変わった、というか元々の地名に戻ったり、キーロフ劇場がマリインスキー劇場になったり(戻ったり)、それこそ激変です。
ウラジーミルでも、『ロシア建築案内』刊行時には、“第三インターナショナル通り”だったメインストリートが、どうやら今では“ボリシャヤ・モスコフスカヤ通り”になっているようです。
(これも古い地名に戻ったのでしょう。)
そして、黄金の門の交差点の広場に建つ州立アカデミー・ドラマ劇場も、“ルナチャルスキー名称”というのが冠せられていたはずですが、今年撮った写真をみると、その名が消えている!

こちらが去年の写真。


わかりにくいので、他サイトのこの写真もご覧ください。
http://planet33.ru/vladimirskiy-oblastnoy-teatr-imeni-lunacharskogo/galleries/523#photo=26084

Театр драмы им. А.В. Луначарскогоと、昨年(2010年)の段階では書かれていました。

ところが、今年の写真では、


Академический театр драмыとなっていて、ルナチャルスキーはどこ?!

Анатолий Васильевич Луначарскийアナトリー・ヴァシリエヴィチ・ルナチャルスキーはソ連の初代文部大臣で、ソ連初期の文化政策において彼の名は忘れるわけにはいかないのですが、評価については光と影の両面があっていろいろ難しいところですね。
文化省のトップだったゆえに、彼の名を冠した劇場はここウラジーミルだけではなく、他の都市にもある(またはあった)ようです。

建物の名前の上の部分にある、Андрей Боголюбскийはユーリー・ドルゴルーキーの息子で、スーズダリ=ウラジーミル公国の公だった、歴史上の人物。
要するに、ウラジーミル公国建国の父。



http://v.youku.com/v_playlist/f3315085o1p44.html

こういう人のようです。

このポスターも、もしかして、上の動画(アニメーション)の広告なのか?

さて、付け足しみたいになってしまいましたが、黄金の門の向かいの一角に、トロイツカヤ教会があります。
上の写真の手前左側に建っています。
古いロシアの様式を採り入れていますが、建築は1913年と新しいものです。
古儀式派の人たちが作った教会ですが、ソ連時代に教会としては活動を停止させられ、現在は博物館+お土産屋さんとなっています。
今年は修復中のようでした。
教会として復活する日は来るのでしょうか。


こちらは昨年の写真です

黄金の門

ウラジーミルと言えば、ますは黄金の門。なので、その写真を。
キエフの大門に倣ってつくられたものです。



はがきなんかだと、電線が入らずに美しく撮れるんですけど。
現在は博物館(入らなかったが、戦史博物館だとのこと)。

傍ら(左)にある建物は1908年創立の学校です。


傍ら(右)にはコズロフ土塁。
この町の防御の要でした。

2011年10月16日日曜日

小さいような大きいようなウラジーミル

ようやくウラジーミル入り。
定番ですが、戦勝記念のモニュメントです。

昨年購入したはがきの説明文によれば、30周年記念として建てられたものとのこと。

はがきですけど、昨年買ったウラジーミルのはがきというのは、スーズダリのホテルの売店で買ったものです。
70ルーブルのスーズダリの絵はがきセットを買おうとして100ルーブルを出したら、お釣りがない、どうしてもない、と言われ、困った挙句、売り子のおばさまが並べる“その他の商品”の中から30ルーブルのウラジーミルの絵はがきセットを買うことになってしまったというわけなのです。
で、このウラジーミルの絵はがき、СССР製なのです!


切手欄には4коп.(4コペイカ)とあります。
ウラジーミルが誇る、はずの教会の写真はあんまりなくて(黄金の門はさすがにあったが)、↑のような戦勝記念モニュメントやフルンゼの銅像とか、なかなかソヴィエトチックなセレクトで貴重です。
今年は民俗博物館の売店で買ったけれど、教会の写真ばかりになっていました。
地図もついて、おしゃれなものになっていました。
しかし、「このインターネットの時代に絵はがきなんて」という感じで、あんまり売れてはいないそうで、この絵はがきセットも何十年も売られ続けるのかもしれません。

まだ、ここまでは普通の地方都市の様相をなしているウラジーミルです。